20190202の日記 「好き」とは

 仕事が立て込んでブログを書く気力も起きない木金を経て、今度はぐったりして何もする気が起きない土曜日という健康的ではない週末です。頭の中でいろんなことを考えるんだけど、行動するには至らない。疲れてるんでしょうねえ。

 

※以下長くていつも以上に何が言いたいのか分かりづらい文章です

 

 最近「好き」についてよく考えるんですよね。自分は何を好きなんだろうみたいなことに始まり、なぜ好きになったのか、好きになる過程に再現性はあるのか。そもそも好きってなんだ、と。好きの反対は嫌いではなく無関心だ、なんて言うけどどうなんだろう。主観によるところが大きいテーマなので切り口は無数にあるんですよね。

 

 そして自分なりに論理遊びをして得た、自分の場合の一応の結論が以下。

好きになることはその対象に理由はなくて、きっかけやタイミングの問題であるということ。身も蓋もないことを言えば、誰でも良かった、なんでも良かったということですね。ただし現実には本当になんでも良いなんてことはなくて、「一定の条件」の元で選別されていると思いますが、その条件はクリアした上で重要なのがきっかけだと。この「一定の条件」をどの高さに置くのかというところが個人差。自分がこのハードルをどの高さに置いているのか、正直わかりません。解釈の違いも出てくるだろうし難しい。

 ただ、自分が何かを「好き」になる条件には一つ思いあたるところがあって、それは「対象に興味を持つ」ということ。先に出てきた「好きの反対は無関心」に通じるところですね。きっかけの部分はバラバラですが、興味を持ってしまえばどんどんのめり込んでいくし、決して冷めない。一度好きになったもので好きじゃなくなったものが思い浮かばないんですよね。対象のことを既に知ってしまっているから。もしかしたら忘れているだけかもしれませんが。もし対象から離れるとしたら、好きかどうかではない、別のベクトルの理由が生じた時だなと。

ここまでを踏まえて、

①「好き」=「知る」

②「知る」ためには「興味を持つ」

③「興味を持つ」ためにはきっかけやタイミングが大きい

④ ①なので、知ってしまえば忘れない限りずっと「好き」

ひとまず自分の感覚を無理やり論理的風にしたまとめがこんな感じでしょうか。ガバガバ文章で読み返す度にツッコミどころが見つかりますがキリがないのでこのままで。

そもそも「好き」の定義付けをしっかりしておくべきだったのではと思ったけど後の祭り。

 

 ちゃんと学んでいない分野のことだからわかんないなりに好き勝手言えるし、自分自身のことだから(客観性を捨てているので)考える材料(←ここをもう少し補足して書くべき)はいくらでもある。でもある意味非常に実用性の高いテーマなので考えるのが面白い。そしてこんなバラバラな文章でも書けるのがこのブログですね。

 「好き」を増やすことが人生の彩りになると思ったことがこの考えのスタートラインでした。文章にしてまとめたことでなんとなく行動のヒントを得られたような。

本当は実例を挙げて書くべきなんでしょうけど時間も遅いしこのあたりで。

 

 

 数日おきにいろんなミリオン曲がマイブームに。今は「Understand? Understand!」がお気に入り。イントロで掴まれてエネルギッシュな歌詞と軽快なメロがいいですね。